スペインで弾丸ギリホリワーキングホリデー
スペインのバルセロナとイビザ島でワーキングホリデーを体験された丹後耕平さん(男性)の体験談のご紹介です。バルセロナでのワーホリ中にコロナパンデミックとなりスペインでのロックダウンも経験されましたが、しっかり目標をもって仕事の経験を積まれました。
初めまして、今現在スペイン、ムルシア州のラーメン屋さんで働かさせてもらってます。こーへいです。
25歳の時のフィリピン留学をきっかけに海外での刺激ある生活にどハマり、好きなことはスタディーカルチャー、世界中に友達作り、最近はもっぱら地中海での釣りにハマってて毎週休みの日には海に行きます。
最初にワーホリでスペインに来たのは当時28歳、俗にいうギリホリですね。コロナウィルスで世界が騒がしくなるちょっと前の2019年11月20日バルセロナでした。
フィリピン留学で刺激をワーホリへの刺激をもらった
スペインへのワーキングホリデー制度が始まったのが僕が初めて海外に出てフィリピンで語学留学をしている時でした。
当時25歳、いつか外の世界をみてみたいと思いながらやっとの思いできたフィリピン留学でした。A,B,C,,,アルファベットもろくに言えなければ、ワーキングビザという制度すら知らなかったです。。
でもフィリピン留学ではもちろんこれからワーホリに行く人、ワーホリをたくさん経験してさらに語学を伸ばしたい人、英語ペラペラになってこれからフィリピン就職する人、これから世界一周旅行に行く人色んな人がいました。いろんな人がいるなと刺激をいっぱいもらいました。
そこで過ごしている時にスペインでワーホリ始まったという情報を得て僕もいつかワーホリでスペインに行ってスペイン語で仕事して週末はサッカーFCバルセロナの試合を見てって勝手に夢を膨らましていました。でもヨーロッパにワーホリそれなりにお金も準備しないといけないし、スペイン語も勉強しないといけない、いつかいけたらなと思い過ごしていました。
その後友達の紹介で香港でワーホリ、1年間ラーメン屋さんで働いて予定もないまま帰国。帰国後久々の日本を楽しみながら居酒屋でバイト、普通に日本での生活は不自由なく楽しかったのですがなんか刺激が足りないとスペインワーホリをすぐさま調べビザ申請、ビザ取得後すぐさまスペインへ大体2ヶ月ぐらいで準備し、スペイン語を勉強しないままスペイン入国。
スペイン語ゼロで色々突撃してみた
スペイン・バルセロナに来てからは市内のドミトリーを1ヶ月ぐらい転々としながらスタディカルチャー、友達作り、めいいっぱい遊んでました。でもまず家を探さないといけない。スペインではピソと言ってシャアルームが基本、フェイスブック、部屋探しアプリ、ネット、たまに路上の張り紙でルームメイトを募集しててそこで部屋を探す感じです。
ドミトリーでの英語の会話はなんとかいけた、でも部屋探しは簡単ではなかったです。といっても部屋探しではもちろん大都会バルセロナ、ファーストランゲージが英語の部屋もあります。でも僕はそもそも語学学校に行く予定もなかったので、あえてスペイン語オンリーの人たちが住んでる部屋を探しまくりました。
もちろんスペイン語皆無の僕が突撃部屋探ししたところでうまく行くこともなく、1ヶ月以上かかりました。。やっとの思いで部屋が決まり部屋のオーナーはスペイン人の粋なおっちゃん、ルームメイトはペルー人の女の子、モロッコ人イタリア育ちのモデルの女の子ファーストランゲージはゴリゴリのスペイン語。
僕にとってはとてつもなくカオスでしたが、みんな優しくスペイン語を習いながら過ごしてました。
よし次は超難関仕事探し、とりあえず英語の履歴書と日本語の履歴書をもってバルセロナ市内中のジャパレスに出向き配りまくる。。これがめちゃくちゃキツかった、というのもスペインは離職率がヨーロッパでもとても高くスペイン人でさえ仕事を探すのは困難、それに加えて仕事をするには雇う側と雇われる側の契約を結ばないといけなく、雇う側はクビにできない法律があり面接は雇う側からすればとても重要、それに加えてスペイン語はなんも喋れない僕。。。
そんなことを1ヶ月くらいして一本の電話が、、週2、3回のジャパレスのウェイターでのお手伝い。元々フルで仕事を探してたけどスペイン語喋れないしそんなことも言ってられないので練習あるのみ。なのでとりあえず突撃。最初の頃はメニューを指で刺してこれ?という感じでオーダーをとり、本日のおすすめはメモを見せてとこんなんで雇ってくれてるオーナーさんには感謝しかないです。
そんなこんなで数をこなしていくと電話予約だったり、おすすめをスラスラ言えたり、というふうに少しずつ喋れるようになりました。フルタイムの仕事も探しながら、お手伝いさせてもらってました。
慣れてきた頃に始まったパンデミック
そしてついに中国人経営のラーメン屋さんにフルでの仕事が決まったものの仕事2日でロックダウンもちろん僕は仕事を失い、スペインの街はゴーストタウンとなり3ヶ月間の自宅隔離、この3ヶ月間はとても地獄でしたルームメイトは帰国したりとなって部屋のスペイン人オーナー2人で3ヶ月間の軟禁状態特にやることもなくすることといえば夜8時にベランダに出てみんなで励まし合いの拍手。
僕もめちゃくちゃキツかったのですがスペイン人のルームメイトもろくにスペイン語を喋れない日本人との3ヶ月も監禁なんてめちゃくちゃキツかったと思う。
そんなこんなでろくに外出もせず友達をいっぱい作ることもなくワーホリはすでに半分も過ぎていました。。
ロックダウン規制緩和後はバルセロナもすぐに活気付くわけもなく仕事もすぐには見つかりません。僕はワーホリ期間無駄に過ごしたくなっかたので、行ってみたかった場所でもるイビザ島にいくことにしました。
イビザ島についてからは一度経験してる部屋探しは楽勝でも仕事探しはコロナの影響もありましたがなんとか、中華レストランの皿洗いにありつけました。2ヶ月くらいイビザ島で過ごしその後チャンスがあり、今の会社のラーメン屋の店長をやらさせてもらってます。
岡崎慎司選手からもらった言葉を励みに
元々飲食店で働くことが多く、料理した物を食べてもらったり、いろんな人とお話しすることが好きだったのと、異文化交流には『食』だろと、ワーホリでは飲食店で働くことにこだわりました。
それで今は店長をやらさせてもらっているのですが、先日サッカー日本代表の岡崎慎司選手がお店に来てもらう機会あり少しだけでしたがお話しさせてもらいました。
その時に海外生活の長い岡崎選手から『日本人の少ない街でを互い大変だろうけど、お互いがんばりましょうね』と言われ僕は鳥肌が立ちました。与えられたステージで全力を出し切るだけ、サッカー選手もワーホリプレイヤーも一緒だなと感じました。
これまで好きなことスタディカルチャーをやりつつ生きるために仕事でラーメンを作って来ただけなのですが、本物から本物の言葉をいただき、これまで以上に仕事にやる気が出ています。
何事も諦めずパワーで乗り切れば色んな刺激が待っている
スペインワーホリの1年間ではほとんどの期間コロナウィルスでいろいろとありましたが、いつもと一味違う刺激がいっぱいだったと感じます。
いろいろな国のコロナに対しての意見、世界の状況、それに加えて異国での言葉の大変さ、仕事探し、経験としてはとても糧になります。今後スペイン語を使って何かするわけでもないですが、僕にとっての外国語はスタディカルチャー、友達作りの一つのツールだと思ってます。
実際学校に行かなくても何不自由なく生きてるし友達もいる、仕事もできてる。やる気があればどこまでもいける気がします。
もし今後ワーホリに行く方にアドバイスがあるとすれば、何事も諦めずパワーで乗り切ってください。これはスペインでもカナダでもオーストラリアでも変わらないと思います。その先には今までにない刺激やこれまでに想像しなような出来事が起きるかもです。